東西の偉人が同じことを言ってます。踊る大捜査線での「事件は現場で起きているんだ」と同じことを言いたいのだろうし、「百聞は一見にしかず」だ。議論はたくさんした方が良い、けれども実際にレコードを聴いているわけではなかったり、映画を観ていないで熱弁をされているのに出逢うことがあります。
それがCD時代になってからの録音、ヴィデオ作品としての映像であるのなら気になるものではなくて大いに参加するのだけれども、映画は大きなスクリーンで観るだけのものではなくて劇場に集まった人たちの中で楽しめるように造られているものでしょう。少なくとも対象年齢を定めていない頃の劇場作品はどんな階級の人にも、若い子どもにも楽しめるようになっていたと思います。
アナログレコードには、A面、B面とあってそれぞれの面で趣向を変えているものも少なくありませんでした。それほどでなくても、A面からB面に裏返すことを前提に曲が構成されているものです。
ゲゲゲの女房で主人公の布美枝を演じている、松下奈緒さんがテーマ曲を演奏していたNHKの朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」のエピソードに、CDで落語を完璧にマスターしていると自信を持って講座に立った落語家が観客との意思の疎通が出来なくて独り舞台で終わってしまうと言うのがありました。落語を憶えるのにCDでも問題はないでしょうけれども、落語家としてはどうだろうというものでした。
CDで聴いて、DVDで観ただけで、本来のレコード、映画をマスターした気持ちで議論はして欲しくないなあ。そして、過去の録音や映像だけを論じる時、現代のものとの比較も忘れないで欲しい。昔有名なバンドのアーティストの最近の録音を聴いていないで、語っていたり、聴いていても昔の方が良かったなんて。そのミュージシャンだって若い頃の方が色々と自由は効いたはずです。とあるアニメーターだって、若い時は思いきりやれたでしょう。それが保守にまわったり、ジレンマに陥っていたりすると躓いたところにこだわったりするものです。
クラシック音楽は再現音楽であることは事実。若い指揮者が過去の大指揮者を模倣していたって良いと思います。「本物至上」を思い違いして、新しい録音から名盤とされるものが出てこなくなったのは同時代の聴き手が強く支持しないからじゃないかしら。
人は 熱狂しない限り 偉大なる 真実にまで 到達できない。
冷静さは 議論はできても 何も生み出さない。 (ジョルジュ・ベルナノス)
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