世界的な歌姫ホイットニー・ヒューストンさんが、2月11日(現地時間)に亡くなった。
12日、AP通信などのメディアは、ホイットニー・ヒューストンさんが11日に死亡したと伝え、世界のファンに衝撃を与えた。
『タイムズ』などアメリカのメディアによると、ホイットニー・ヒューストンさんは、カリフォルニア州ロサンゼルスのビバリー・ヒルトン・ホテルで死亡していたところを発見されたという。ビバリーヒルトン・ホテル4階の部屋で容体が急変した姿で発見され、救急隊が20分間にわたって蘇生処置を施したが、同日午後3時55分(現地時間)に死亡が確認された。48歳没。
彼女はこの日、クライヴ・デイヴィスが主催する恒例のグラミー賞の前夜パーティに参加するために、同ホテルに滞在していた。
2012年8月に公開される映画「スパークル」が演劇作品としての遺作となった。
著名なソウルシンガーを親戚に持つホイットニー・ヒューストンさんのデビュー・アルバムは、10曲中5曲がシングル・カットされる大ヒットアルバムでした。当時、毎月の様にシングルカットされる有様はびっくりするほど。1985年。日本ではアリスタレーベル(AL8-8212)からの発売。今はソニー傘下でCDも良い音質ですが、まだポリドール系列だった頃でLPの盤質は誉められるほどではなかったのですが、再生音質より録音は良いことは感じられました。
シングル盤で全部揃う様な勢いではありましたけれども、美味しいところはLPを買わないと聴けない。そう、ジャーメイン・ジャクソン(彼も当時、マイケル・ジャクソンがジャクソンズを抜けた後を埋めるほど素敵だった。)、テディ・ペンダーグラスとのデュエットはLPでお楽しみください。という感じ。これが実に味わい深いものでした。
デビュー・アルバムの大ヒットの余波で、2枚目、3枚目と映画『ボディー・ガード』のサントラ盤までの勢いは凄いものでした。アレサ・フランクリン、ディオンヌ・ワーウィックの援護射撃の賜物だったのだろうけど、みんな揃ってヒットチャートを再び賑やかなものにしてくれたのでした。1971年にシンガーソングライターが登場して商業ロックは、やがてAORへ。シカゴの変化の変遷が、リスナーが望む音楽だった。
1980年代前半は、ホワイト・ソウルの全盛期でチャカ・カーン、ラヴェルが減速を補う、、、、というのか本来のソウルパワーを再び注入しようとして、そこへ登場したのがホイットニー・ヒューストンさんだったのだろう。
ホイットニー・ヒューストンさんのアルバムを、改めて振り返るとデビュー・アルバムにすべてが注がれている。それは過言では無いと思います。日本でのセールは2枚目、3枚目が耳馴染みよかったのかプロデュースの力で人気。それまでブートレグとして特殊な流通であった海賊盤が一般商品に紛れてワゴンセールなどに並ぶ様になったのは、ボディー・ガードの大ヒットの頃合いではなかったかしら。
虫の知らせなどと言うけれども、人が誰かの死を予見するのは16分の1と意外と確率は高く稀なものでは無いらしい。しかし、今年の年初にホイットニー・ヒューストンは今、どうしているのだろう。そう考えた時に、映画『スパークル』のニュースを聞き安堵と期待を感じていた矢先の訃報。“最後になった作品”などとキャッチフレーズで人気が再燃する様だと悲しいものです。
2012年1月リリースされたマライア・キャリーとのデュエット盤。
2010年に25周年アニヴァーサリーとしてDVD付きでリリースされた、デビュー・アルバムのリマスター盤。歴史に残して良い優秀盤です。
オリジナル・アルバムとしては7作目。2009年に完全復帰を宣言する様にリリース。これが正規のラスト・アルバムになるのでしょうか。『ギネスブック認定“最もアワード受賞回数の多い女性アーティスト(累計411回)”、アルバム・シングル・ビデオ総売上枚数は1億7000万枚を突破』などと肩書きは凄かったけれども、音楽をFMやMTVで愉しむ時代ではもう無かった。
あの曲良いね、と言った口コミもヒットチャートを動かすほどではなくなりましたね。
大ヒットアルバム。売れに売れて、今や中古盤は1円という値段。
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